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さきたま古墳群 [歴史と旅]

 埼玉県行田市にある「さきたま古墳群」を見学してきました。

 ここには8つの前方後円墳と1つの円墳が密集しており、
現在は歴史公園として整備されています。

 私が訪れた日は小雨、30度の蒸し暑さでしたが見学者が多かった。
歴史愛好家が多いのか、はたまたウォーキングがブームなのか!?

 公園で古墳より先に目に飛び込んできたのが「埼玉県名発祥の碑」
どうぞご覧ください。


埼玉という県名はここ「埼玉」の地名(郡名)が県名に昇格したと書いてあります。

 この古墳群でいちばん古いものは「鉄剣(国宝)」が見つかった「稲荷山古墳」
5世紀後半の古墳です。

墳頂から見つかった鉄剣には金糸で武蔵(東京、埼玉)の国造(くにのみやつこ)
が近畿のワカタケル大王(雄略大王と推察)の補佐をしたと刻まれています。

 近畿勢力は雄略の時代、全国に勢力を伸ばしたといわれています。
武蔵国の首長は当時、毛野国(群馬、栃木)と争っていたのでしょう。
近畿勢力と手を結び、隣国に対抗していたのかもしれません。
まさに戦国時代の常套手段、「遠交近攻」作戦そのままです。

 その次に古いのが「丸墓山古墳」、この古墳は珍しく円墳、日本最大で
100mほどあります。ちなみにかの上杉謙信も頂で陣を張ったそうです。

 そして、「二子山古墳」、さきたま古墳群最大の前方後円墳で長さが
140mほどあります。6世紀初め、この地がいちばん栄えた時代でしょうか。

 「将軍山古墳」はきれいに整備され埴輪も並べられていました。

後円部は博物館になっていて古墳内部が分かるようになっています。
(コンクリート製の入口が少し気にかかります)
ちなみに他の古墳は竪穴式ですが、この古墳のみ横穴式で築造されています。

 時代の移り変わりとともに勢力にも変化が起きたのでしょう。
この頃から大きな古墳はつくられなくなり、やがて国の拠点が他に遷っていきます。

 きれいに整備された古墳群でした。埼玉県が力を入れて歴史公園として
整備しているのが分かります。「もう少し往時のまま残してもらいたい」とも
思いますが、保存するにはこのような方法もあるのでしょう。

次は毛野国の歴史遺産巡りもしたいものです。


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Jリーグ地名考 熊谷 [歴史と旅]

 さあ、気分を切り替えて!

 今週末、ザスパ草津vsベガルタ仙台戦は埼玉県熊谷市で開催されます。

熊谷と聞くと盛んなスポーツはまずラグビーで、高校ラグビーの強豪校もあります。
以前話題にした故宿沢氏も熊谷から早稲田ラグビー部にはいっています。

 さて、熊谷の地名ですが、埼玉県内の「谷」のつく市名を眺めてみると熊谷の
ほかに「深谷(※1)」「越谷」「鳩ヶ谷」などが見受けられます。
そしてそれらはすべて「や」と読み、「たに」とは読まれません。

 その地の地形を地図から眺めてみると「谷」は「谷地(低湿地)」の意味も
含まれていると考えられえます。
「熊谷」は「曲り谷地」から転化した可能性もありそうです。
近くに荒川が流れていますので、その河原が地名の起こりかもしれません。

 熊谷を有名にしたのは鎌倉時代の武将「熊谷直実」です。
この場合、名字は「くまがい」と読みます。源平合戦(一ノ谷の戦い)の折り、
敵方の少年武将にして笛の名手、平敦盛の首を戦の定めとして泣く泣く落とし、
その後、弔うために出家したと伝えられている武将です。
 この話しは時代劇や歴史ドラマに度々登場していますので、
ご存知の人も多いかもしれません。出家の理由は他にあったようですが、
有名な説話としていまに残っています。

 鎌倉幕府の政策で東北地方にも熊谷氏の一族が多く移住したのでしょう。
宮城、岩手辺りにも結構、熊谷姓の人がいます
(専門家ではありませんので詳しくは知りません)。
ベガサポさんのなかでも熊谷姓に関わりのある方がいるかもしれませんね。
熊谷でベガルタ仙台を応援しましょう!

 余談となりますが、熊谷市の東南に行田市があります。
ここには「さきたま古墳群」があります。

稲荷山古墳からはワカタケル王(雄略大王?)に関する文章が書かれた
鉄剣が見つかり有名になりました。

 少し家を早めに出て、古墳を眺めながら熊谷に向かいたいと考えています。

※1:サッカーから少し離れて・・・
 「深谷」といえばバレーボール。深谷高校は毎年のように日本一を争う強豪高です。
その深谷高校のライバルといえば仙台の東北高校、
この2校が日本の高校バレー界(大学バレー界)を牽引していると言ってよいでしょう。
サッカーに限らずライバル県です。ベガサポさん燃えましょう!


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グーグルアース(Google Earth)で古墳さがしの旅 [歴史と旅]

 Google Earthというフリーソフトをご存知ですか?
世界中の衛星写真が閲覧できる便利なソフトです。

 ためしに先日,日記で紹介した「芝丸山古墳」を空から眺めてみましょう。
左上は東京タワーです。その下に大きなホテルが見えます。
その右横に古墳の森があります。

 古墳と分かるかな・・・キビシイかもしれませんね。 少し大きくしてみましょう。

 参考に有名な大阪の古墳で,よく整備されたものもみてみます。

     (方位を合わせるため回転しています)

 古墳も保存状態によってずいぶんと違うものです。
いかがでしょう?

※:このお話しはmixi(SNS)でも紹介しています。


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東京都心の前方後円墳 [歴史と旅]

 東京都心,東京タワーのすぐ傍に古墳時代の前方後円墳があると
聞いたら驚きますか?

 東京都港区芝公園内に「芝丸山古墳」があります。

     (地下鉄出口の案内図)

5世紀前後の古墳かな・・・
中央(近畿)では倭の五王(応神朝)から継体朝への転換期でしょうか。

     (「芝丸山古墳の標柱)

 この古墳は縄文時代後期の貝塚の上に築かれています。
縄文時代から人々がこの辺りで生活していたのですね。

 芝丸山古墳の全長は110m前後,結構大きな古墳です。
墳形はその後の歴史の変遷の中,大きく変形しています。
後円部は頂部が削られいまは平らな公園になっています。
それでも円形の公園が古墳らしさを醸し出してくれています。

     (後円部の公園,「伊納忠敬」の功績碑があります)


     (古墳から眺める東京タワー)

 当時,東京湾は深く入り込んでました。湾から見上げる位置に
古墳があります。海人(あまびと)は船で進入するときこの古墳の
威容にふれたことでしょう。


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Jリーグ地名考 鳥栖 [歴史と旅]

 鳥栖市・・・佐賀県や福岡県を含む北部九州は古代史好きの血が騒ぎます(^^)

 弥生時代から古墳時代へ移行する時代,北部九州は倭(わ:日本)の中心,
先進地域でした。

 邪馬台国で有名な「魏志倭人伝」に「対蘇国」というクニが紹介されています。
その対蘇国が鳥栖地方ではないかと言われています
(もちろん他の意見もありますが)。鳥栖はそれほど歴史のふかーいところです。

 ちなみに鳥栖は「トヤ(鳥屋)」からきていて多くの鳥を飼育していた土地という
説があります。

 また,鳥栖スタジアムから南西13kmに有名な「吉野ヶ里遺跡」があります。
鳥栖スタジアムに行ったら,吉野ヶ里にも立ち寄ることをお勧めします。
弥生時代に浸って古(いにしえ)に想いを馳せてください。

 ところで・・わたしは今回,鳥栖に参戦できません(T_T)

 余談になりますが,
 福岡市は「魏志倭人伝」のなかで「那国」に比定されています。
いまはJ1の福岡ですが,先シーズンまでの「鳥栖vs福岡」は邪馬台国ダービー
でもあったのですね(ふかい!)。


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Jリーグ地名考 「水戸」(ベガルタ仙台) [歴史と旅]

 今回は「水戸」です。

 水戸は「水の門(と)」を意味しています。
河川や湖の港につけられた名が広い範囲の地名になったのでしょう。
海の港の意味である「津」と共通する部分が多少あると思います。

 水戸付近には「那珂川」と「千波湖」があります。
これらが地名発祥のヒントかも知れません。

 水戸,古くは「三戸」という字も使われていたようです。
「みと」の「み」ですが,全国に散見する地名では「御」「美」「三」の
文字が使われることが多く,これらは慶字,縁起の良い字,
きれいな風景などを表しています。

 慶字といえば,水戸と同じ茨城県の霞ヶ浦沿岸に「みほ(美浦※)」
という美しい地名があります。こちらは1955年,3村合併で誕生した
新しい地名(村名)です。
意味は「みと」とほんの少しつながる部分がありますね。

 どちらも「水」に関係しています。
古(いにしえ)の水戸の風景はどんなだったのか・・・
想いを寄せてしまいます。

 余談になりますが,常陸の国(茨城県)はその昔「佐竹氏」が
治めておりました。
関が原の合戦後,佐竹氏は羽後の国(秋田県)に国替えさせられています。

 水戸vs仙台,秋田出身「熊林選手因縁ダービー」です(笑)!

 さらに余談は続き,佐竹氏と甲斐(山梨県)の武田氏は清和源氏,
八幡太郎義家の弟,新羅三郎義光流の同族です。
水戸と甲府は「源氏ダービー」だったのですね。

 ※:競馬ファンにはお馴染みの「美浦トレセン」があるところです。
   つくば市に住んでいた頃,朝3時起きでトレセンまで「追いきり」の
   見学に行ったことがあります。トレセン内で競走馬が近くを通る
   ときは「立ったまま動かないでください」と言われました。
   馬に蹴られそうになってもです(大げさ)。
   向こうはサラブレッド,こちらは駄馬だから仕方ないか(笑)


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Jリーグ地名考「山形」そして居酒屋にて菅井選手・・・(ベガルタ仙台) [歴史と旅]

 今週末,ベガルタ仙台はアウェーで山形と対戦です。

 その山形の地名ですが・・・読んで字のごとくですね(笑)

 「やまがた」は「山方」の意味があり,山の方向,山間地などを表しています。
山形も古くは「山方」と書いていたと思います。
  「山方」「山形」の地名は全国に散見していて,「山方・山形サミット」を
開けるくらいです。

 室町時代,足利氏ゆかりの斯波氏が羽州探題としてこの地を治めていました。
その斯波氏が盆地の中央に城を築き山方ではなく「山形城」と名付けました。
斯波氏はのち「最上」の名字を名乗ります。

 「最上」の地名は山形よりも古く延喜式などにも郡名や駅名として出ています。
斯波氏は広くこの地域を領有することを願い最上を名乗ったのでしょう。
(最上の意味は,「高い所」「台地」という意味だと思われます)

 ちなみに伊達政宗の母は最上家の出です(宮城県人なら常識か(^^)

 週末の「山形vs仙台」は「東北ダービー」「みちのくダービー」などと
呼ばれていますが「伊達政宗母子ダービー」でもありますね。負けられません!!

 余談:先日居酒屋にて・・・

 その居酒屋はかなりの混み具合,わたしたちグループはひとつのテーブルを
他のグループに半分提供して飲み食べしてました。
 
 隣のグループは何やらJリーグの話題で盛り上がってるようです。

 そのうちの1人が
 『菅井が○×△◇・・・』

 心のなかでつぶやくわたし
 「ん?いま菅井と聞こえたぞ」

 次に聞こえてきた言葉は
 『いま仙台にいるんだよ~』

 思わず反応するわたし!
 「わたしはベガルタ仙台を応援してるんですよ」
 (ベガッ太携帯ストラップを隣のグループに見せる)

 意気投合! その彼曰く
 『菅井とは同級生,自分の自慢じゃなくて恥ずかしいけど,
 彼は私の自慢なんですよ』

 同級生といえば22歳,”自分の自慢じゃないけど”と付け加えるとは,
なかなかの好青年です。

 感心しつつ言葉を返すわたし
 「菅井選手は仙台になくてはならない選手です。
 大いに同級生を自慢してください」

 まさか東京板橋の地で菅井選手の同級生と出会うとは思いませんでした。

 お店を出るとき,入口には何人かのスポーツバッグが山積み。
彼らは大学サッカー部の学生さんだったのですね。

 いやぁ安くていい酒飲みました(笑)

 そう菅井選手は山形出身です。


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Jリーグ地名考 「東京V,FC東京」(ベガルタ仙台) [歴史と旅]

 Jリーグ,おもにJ2ホームの地名を少しずつ紹介していきたいと思います。
第1回目は今夜,仙台と対戦する「東京V」のホーム「調布市」です。

 東京VとFC東京は調布市,飛田給駅が最寄の「味の素スタジアム」を
ホームとしています。
もっとも両チームは今シーズンJ1とJ2に分かれましたのでスケジュールが
重複することも多く,東京Vは国立や西が丘も使っています。

 さて「調布」その地名は昔の税金に相当する「租庸調」の「調(みつき)」が
由来です。日本史で聞いた記憶があると思いますが,税として土地の
特産物を国(天皇家)に納めるものです。

 調布周辺では布(麻布?)を納めていたのでしょう。
現在の調布のほかにも同じ地名が都内に散見します。

 その布を川にさらす情景は万葉集にも歌われていたようで,
「たまがわにさらすてづくり※さらさらになにぞこのこのここだかな(愛)しき」
という歌がありました。

 意味は,
「多摩川で娘が手織の布を流れる清水にさらさらさらしている。
そしてなぜ娘はさらにさらに愛しいのだろう」
(万葉集はあまり詳しくありません(^^; )

  ※:てづくり=手織の布,「たづくり」とも言うそうです。

 また,市内には「布田(ふだ)」や「染地(そめち)」など布に由来する地名が
みられます。こういった地名は文化遺産,大切なものです。
美辞麗句を並べたような地名に変更するのだけは避けてほしいものです。

 「味の素スタジアム」最寄駅「飛田給(とびたきゅう)」の地名は
はっきりしていません。その昔,飛田氏が給田としていたという説や,
貧しい人々の救済施設(悲田所)の給地とする説があるようです。

 サッカー観戦の折り,街中でふるい地名に出会ったら,
どうぞ古(いにしえ)に想いを馳せてくださいませ。

 さて,わたしはそろそろ「ユアテックスタジアム」に想いを馳せます。
「フォルツァ! フォルツァ仙台!」


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ザスパ草津の本拠地「上毛野国(上野国)」 (歴史と旅) [歴史と旅]

 草津vs仙台戦は東京発ツアーバスを利用したので「歴史と旅」,
そんな雰囲気に浸ることができませんでした。

 そこで,もし車や電車を利用した場合,寄ったのではないかな?
と思う前橋,敷島周辺の歴史と遺産を紹介します。

 群馬県,栃木県一帯は古代,「毛の国」と呼ばれていました。
それがあるとき群馬県側が「上毛野国(かみつけのくに)」,
栃木県側が「下毛野国(しもつけの国)」と分かれて
各々1国となりました。
その後,国名は2字で表すことになり,「上野国」,「下野国」と
なったのですが呼び方は従来を踏襲したので「かみつけのくに」が
いつの間にか「こうずけのくに」になりました(「しもつけのくに」も同じ)。

 いまでも鉄道の「両毛線」などにその名の由来を残して
現代に伝えています。また「毛野川(けのかわ)」は転化して
「鬼怒川(きぬがわ)」となりました。

 毛野国の歴史は古く,東国(東日本)最大の古墳も毛野国にあります。
前橋周辺にも東国で最も古いとされる天神山古墳などがあります。

 時代は代わって,平安時代に常陸の国(茨城県)で「平将門の乱」が
起こります。将門は常陸国府(政庁)攻め,その勢いに乗じて下野国,
そして上野国に入り国府を占領しました。その国府の位置ですが,
敷島競技場の川向い前橋市元総社町一帯,詳細な位置までは比定
されていませんが,現在の「宮鍋神社」付近の地ではないかと言われて
います。将門はここで神託を受け「新皇」を名乗ったのかもしれません。

 「草津vs水戸」は「北関東ダービー」と呼ばれてますが,
実は「将門ダービー」でもあったのです。

 元総社町一帯には国府のほかに「上野国総社」や「上野国分寺跡」
があり,当時七重の塔が威容を誇っていたそうです。
上代はこの辺り一帯が上野の国の中心地でした。

 ところで前橋は古くから「厩橋(まやはし)」と呼ばれていました。
意味は「駅家(うまや)の橋」,いまで言うとターミナル駅ですかね?
古くから交通の要衝だったことが伺いしれます。

 この厩橋,戦国時代は武田,上杉,北条が争った地でもあります。
武田=甲府,上杉=新潟,北条=横浜FM・横浜FC
草津は当時から戦国J時代に覇を競う運命にあったのです(笑)

 余談となりますが現在の県名,群馬の名は
「群馬(くるま)の郡(または駅)」などに由来しています。
古代に騎馬を得意とするクルマの渡来人が移り住み,
この地を開拓したのでしょう。そう言えば隣の埼玉県にはコマ(高麗)と
いう地名がありますね。歴史はつながっています。

あぁ元総社町辺りを歩き回りたかった(残念)。


日食と天岩戸伝説(歴史と旅) [歴史と旅]

29日,アフリカなどで皆既日食が観察されました。

 写真は完全な日食になる直前のいわゆる「ダイヤモンドリング」です。

次は,完全な日食状態,コロナの様子が分かります。

 この昼間の天体ショー,日本では「天岩戸伝説」が日食を表しているのではないかと言われています。

 「天岩戸伝説」とは,その昔,アマテラス(太陽神)が弟スサノオの狼藉に怒り,天岩戸に閉じこもったところ世の中が真っ暗になってしまったので,困った神々たちは,アマテラスが岩戸から出て世の中がもとの明るさに戻るよう方策を練り,アメノウズメが奇妙に踊り(ベリーダンス風?)神々が大笑いしている声を聞きアマテラスが岩戸を少し明けて問いただしたところを他の神が外に引き出し,岩戸には注連縄を付け閉じた。結果,世の中が元の明るさに戻ったというものです。
(実際はもっといろいろな物語が挿し入れられています)

 どうでしょう。日食と関連していると思いますか。
神としての権力誇示に日食を利用したものともとれますね。

 余談かもしれませんが,

 アマテラスは天照大神(皇祖神)です。スサノオは須佐之男命,荒ぶる神,田んぼの畔や水路を壊したりしています。スサノオの狼藉は自然界の災害を表しているのではないでしょうか。大雨や洪水などです(※)。方策を練る神々には知恵の神,力の神などいろいろな神が登場します。この伝説には日食と同時に自然災害を諸々の力を結集して解決した姿が描かれているとすれば,王家と豪族の古代合議制政治の始まりということかもしれません。

※:出雲神話の例では,ヤマタノオロチは斐伊川の氾濫を表しているともいわれています。似ています。

 さらに余談となりますが,

 神のみたま(御魂)には,あらみたま(荒魂)と,にぎみたま(和魂)があります。神様には荒ぶる魂(天変地異,病気,戦争...)と穏やかな魂(自然の恵み,平和...)があったのですね。神宮や大きな神社の境内には通常の和魂神社のほかに荒魂神社(荒玉神社)があります。興味のある方は,こんどじっくり探してみてください。


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